自責も他責も、実はエゴの仕組みだった
何か嫌なことが起きたとき、
「私が悪いんだ」
と、自分を責める。
反対に、
「あの人が悪い」
「あの人のせいで、私はこんな気持ちになった」
と、相手を責める。
自分を責めるか、相手を責めるか。
一見すると、まったく違うことのように見えます。
でも実は、
自責も他責も、エゴが大好きな考え方です。
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エゴは「原因」を探したがる
エゴは、何かが起きると、
「どうしてこうなったの?」
「誰が悪いの?」
「何が原因なの?」
と、すぐに答えを探します。
そして、
「私が悪い」
か、
「あの人が悪い」
というところに着地しようとします。
なぜなら、「誰かが悪い」と決めることで、
出来事を理解したような気持ちになれるからです。
でも、本当に必要なのは、犯人探しではありません。
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自責をしても、自分は救われない
「私が悪かった」
と思えば、
自分を変えれば問題が解決するように感じます。
もっと頑張ろう。
もっと気をつけよう。
もっといい人になろう。
そうやって、自分を修正し続ける。
でもその奥には、
「今の私ではダメ」
という思いが隠れていることがあります。
自分を責めることは、
自分を大切にすることとは違います。
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他責をしても、自分は自由にならない
では、相手を責めれば楽になるのか。
一瞬は、
「私は悪くない」
と思えるかもしれません。
でも、
「あの人が変わらない限り、私は幸せになれない」
という状態にもなります。
すると、自分の幸せの鍵を
相手が握ることになります。
それでは、いつまでたっても自由になれません。
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じゃあ、どうする?
自責でもない。
他責でもない。
そのどちらにも行かずに、
「私は、今どう感じている?」
と、自分に戻ってくる。
悲しいなら、悲しい。
悔しいなら、悔しい。
寂しいなら、寂しい。
腹が立ったなら、「私は腹が立ったんだね」と、
その感情をそのまま受け取る。
その感情を持った自分を、責めなくていい。
そして、相手を悪者にする必要もない。
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感情は、あなたを責めるためにあるのではない
怒りの奥には、「大切にしてほしかった」
という願いがあるかもしれない。
寂しさの奥には、「つながっていたかった」
という思いがあるかもしれない。
苦しさの奥には、「本当はこうしたかった」
という自分の望みがあるかもしれない。
だから感情が出てきたときは、
「こんな感情を持つ私はダメ」
ではなく、
「この感情は、私に何を教えてくれているんだろう?」
と聞いてみる。
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エゴから、自分へ戻る
エゴは、
「誰が悪い?」
と聞きます。
でも、本当の自分は、
「私はどうしたい?」
と聞くことができます。
この違いは、とても大きい。
誰かを責める必要もない。
自分を責める必要もない。
ただ、自分の感情を感じて、
自分の本音を受け取って、
そこから次の一歩を選ぶ。
それだけでいい。
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自責も他責も、「自分を守ろう」
とするエゴの反応なのかもしれません。
だから、
「また自責してる」「また他責してる」
と、そこでも自分を責めなくていい。
「ああ、今、エゴが私を守ろうとしてくれているんだな」
と気づいてあげる。
そして、
「大丈夫。もう私が私を守るよ」
と、自分のところへ戻ってくる。
自責からも。
他責からも。
少しずつ離れていく。
その先にあるのは、
誰かを悪者にしなくても、
自分を責めなくても、
自分の人生を生きていける世界。
そこは、とても静かで、自由な場所です。