そろそろ、つながっていたことを思い出そう

そると/心とエネルギーのお話/ビューティフルライフカウンセラー

私たちは「足りない」という世界を生きてきた

これまでの私たちは、「足りない」という世界を生きてきました。

お金が足りない。

愛されていない。

認められていない。

もっと頑張らなければ。

もっと成長しなければ。

もっと価値のある人間にならなければ。

そうやって、不足を埋めるために人生を歩んできました。

外側が満たされれば幸せになれると思い、

仕事を頑張り、

人に認められ、

お金を得ることを目指しました。

そして、外側が満たされても心が満たされないことに気づくと、

今度は内側を満たそうとしました。

自分と向き合い、癒し、学び、手放し、

自分を愛そうと努力しました。

その過程は決して無駄ではありませんでした。

でも、その旅の最後に待っていた答えは、

とても静かなものでした。

私たちは、何かが足りなかったわけではなかったのです。

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分離が「不足」という幻想を生み出していた

本当に失っていたのは、お金でも愛でもありませんでした。

私たちは、「つながっている」という感覚を忘れていただけでした。

愛を「私のもの」と「あなたのもの」に分け、

お金を「私のお金」と「あなたのお金」に分け、

与える人と受け取る人を分け、

価値のある人と価値のない人を分け、

世界を「私」と「私以外」に分けてきました。

その瞬間から、分離が生まれました。

そして、分離の世界では、不足が生まれます。

失うことへの恐れ。

奪われることへの恐れ。

認められないことへの恐れ。

だから私たちは、頑張り続けるしかありませんでした。

でも、不足は現実ではありませんでした。

「分離している」という思い込みが映し出した景色だったのです。

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受け取れなかったのは、お金ではなく愛だった

私たちは、与えることは得意でした。

誰かの役に立つこと。

誰かを喜ばせること。

誰かのために頑張ること。

けれど、受け取ることは苦手でした。

助けてもらうこと。

頼ること。

お金を受け取ること。

そのたびに、

「こんな自分が受け取っていいのだろうか」という感覚が湧いてきます。

それは、お金への罪悪感ではありませんでした。

心の奥にあった無価値感でした。

「価値がある自分になってから受け取ろう。」

そんな無意識の思い込みが、

お金を受け取ることを難しくしていたのです。

でも、お金とは、

与えた価値に対して「ありがとう」が形になったもの。

愛の循環の一つの表現でした。

受け取ることは、弱さではありません。

愛の流れを止めないことだったのです。

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本当は、ただ休みたかっただけ

疲れたとき、

動けなくなったとき、

働きたくないと思ったとき、

私たちは、自分を責めてきました。

「働いていない私は価値がない。」

「稼げない私はダメだ。」

そんな声が聞こえてきました。

でも、本当は違いました。

体は、ただ休みたかっただけ。

安心したかっただけ。

愛の中で、静かに呼吸をしたかっただけ。

そこへ「無価値」という意味を与えていたのは、私たち自身でした。

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頑張ることで、自分を証明しようとしていた

これまでの私たちは、自信を持ちたくて頑張ってきました。

人と比べ、

人から比べられ、

もっとできるようになれば、自信が持てると思っていました。

もっと学べば。

もっと結果を出せば。

もっと認められれば。

そうやって、自分の価値を証明し続けてきました。

でも、本当に必要だったのは、自信をつけることではありませんでした。

もともと価値のある存在だったことを、自分自身が認めることでした。

私たちは、生まれた瞬間から命そのものとして尊く、愛される存在でした。

価値は、あとから手に入れるものではなかったのです。

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「いい人」になる必要も、「いい女」「いい男」になる必要もなかった

もっと素敵な女性になりたい。

もっと器の大きな男になりたい。

もっと心に余裕のある人になりたい。

そんなふうに思って努力してきました。

でも、本当に求めていたのは、

新しい自分になることではありませんでした。

心にゆとりがあり、

外の世界に振り回されず、

静かに世界を見つめられる自分。

その姿は、努力して手に入れるものではなく、

本来の私たちの姿だったのです。

思い出せばよかった。

ただそれだけでした。

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降参(サレンダー)とは、負けることではなかった

一人で頑張らなければならない。

弱さを見せてはいけない。

助けてもらってはいけない。

そんな思い込みに、私たちは縛られていました。

でも、あるとき、その思い込みに降参する時が来ます。

降参とは、負けることではありません。

「私は一人で生きなければならない」という幻想を終わらせることでした。

その瞬間、私たちは再び、大きな流れの中へ戻っていきます。

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愛は、最初から無限だった

愛は有限ではありませんでした。

私たちが有限だと思い込んでいただけでした。

だから失うことが怖かった。

だから奪われることが怖かった。

だから足りないと思っていました。

でも、愛は誰のものでもありません。

お金も誰のものでもありません。

どちらも、この世界を巡る一つのエネルギーです。

私たちは、その流れから切り離されていたのではありません。

ただ、切り離されていると思い込んでいただけでした。

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そろそろ、思い出そう

もう頑張って繋がろうとしなくていい。

もう満たされようとしなくていい。

もう価値を証明しなくていい。

私たちは、最初から繋がっていました。

愛とも。

豊かさとも。

命とも。

そして、本来の自分自身とも。

人生とは、何かを手に入れる旅ではありません。

何者かになる旅でもありません。

繋がっていたことを思い出す旅。

それが、私たちが生まれてきた理由なのかもしれません。

そろそろ、思い出しましょう。

私たちは最初から、無限の愛の中に生きていたことを。