東洋医学・陰陽五行から読み解く心と現実創造の世界

第5回 「脾」が整うと、人生からやってくるものを受け取れる

テーマ:「手に入れる」から「受け取る」へ

「もっと頑張らなければ」

「自分で何とかしなければ」

「欲しいものは、自分の力で手に入れなければ」

私たちは、知らないうちにそんなふうに生きている。

お金も。

愛も。

仕事も。

人とのつながりも。

欲しいものがあれば、自分から動く。

努力する。

頑張る。

結果を出す。

そうやって「手に入れる」ことを覚えてきた。

けれど、

東洋医学の「脾」と「土」の世界を見ていくと、

そこにはもうひとつの生き方が見えてくる。

それが、

「受け取る」という力。

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「脾」は、受け取ったものを自分の力に変えていく

東洋医学では、脾は「運化」を担うと考えられている。

食べたものを受け取り、

消化・吸収に関わり、

そこから得られたものを身体をつくるための力へと運んでいく。

私たちは、

食べ物を口に入れただけでは、

生きる力にはならない。

身体の中で消化され、

必要なものが取り込まれ、

自分の身体をつくるものへと変わっていく。

つまり、

受け取ることと、育てることはひとつ。

これは、人生にも重なる。

誰かから優しくされた。

誰かが助けてくれた。

仕事のチャンスがやってきた。

愛を向けてもらった。

お金をいただいた。

誰かが自分のために動いてくれた。

そんなものを、

「ありがとう」

と受け取る。

そして、

それを自分の中で味わい、

自分の人生の力へと変えていく。

これもまた、生きる力なのだと思う。

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「受け取る」が苦手だった人は多い

私の元に訪れてくださるクライアント様は、

「自分でやらなければ」

という思いを軸に生きてこられた方が多い。

人に頼るより、自分でやったほうがいい。

人に迷惑をかけないほうがいい。

誰かに何かをしてもらったら、

返さなければいけない。

常に頑張っている自分でいなければいけない。

そんなふうに、

「与えること」や「頑張ること」が得意な方ほど、

「受け取ること」が苦手な方が多い。

でも、よく考えてみると、

受け取ることもまた、ひとつの力だった。

誰かが差し出してくれたものを、

「そんなの悪いから」と断ってしまう。

「自分でできるから大丈夫」と言ってしまう。

「こんなに受け取っていいの?」と思ってしまう。

その奥には、

「私は一人で頑張らなければならない」

という思い込みが隠れていることがある。

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「土」は、受け取って育てる

五行で「土」は、育む場所。

植物は、土から養分を受け取って育っていく。

土は、「私は自分だけの力で育ちます」とは言わない。

水を受け取る。

太陽の光を受け取る。

土の中の養分を受け取る。

そして、それらを自分の中に取り込んで、

芽を出し、

葉を広げ、

花を咲かせていく。

人間も同じ。

私たちは、一人で生きているわけではない。

食べ物を受け取っている。

空気を受け取っている。

自然から恵みを受け取っている。

誰かの知恵を受け取っている。

誰かの愛を受け取っている。

誰かの力を借りている。

それなのに、

「私は一人で頑張らなければならない」

と思っていたら、

本当は目の前にあるものまで、

受け取れなくなってしまう。

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「手に入れる」と「受け取る」は違う

「手に入れる」と「受け取る」。

似ているようだけれど、感覚はまったく違う。

「手に入れる」は、

自分が動いて、

自分がつかんで、

自分の力で獲得する感覚。

一方、

「受け取る」は、

すでに差し出されているものに気づいて、

手を開いて、

そのまま受け取る感覚。

だから、

「もっと頑張らなければ」から、

「今、何が差し出されているだろう?」

へ視点を変えてみる。

それだけで、人生の見え方が変わってくる。

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人生は、すでにたくさんのものを差し出している

朝、目が覚める。

今日という一日がある。

ご飯を食べる。

食べられるものがある。

誰かから連絡が来る。

話を聞いてくれる人がいる。

仕事を頼まれる。

誰かが自分を必要としてくれる。

誰かが何気なくかけてくれた言葉に救われる。

そんな小さなものまで含めたら、

人生は毎日、

たくさんのものを私たちに差し出している。

でも、

「もっと欲しい」

「まだ足りない」

「こんなものではない」

と思っていると、

目の前にあるものを受け取れない。

受け取っていないから、

「私は何も持っていない」

と感じてしまう。

けれど、

受け取っていないだけで、

すでにたくさんのものが届いている。

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「受け取ってもいい」と自分に許す

ここで大切なのは、

「もっと受け取らなければ」

と頑張ることではない。

それではまた、

「頑張る人生」

に戻ってしまう。

そうではなく、

「私は受け取ってもいい」

と、自分に許してあげる。

愛されてもいい。

助けてもらってもいい。

誰かの優しさを受け取ってもいい。

お金を受け取ってもいい。

褒められたら、

「いやいや、そんなことないです」

と打ち消さずに、

「ありがとう」

と言ってもいい。

何かをしてもらったら、

「申し訳ない」

ではなく、

「嬉しい」

と感じてもいい。

誰かに頼ってもいい。

自分だけで全部背負わなくてもいい。

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受け取ることは、相手の愛も受け取ること

誰かがあなたに何かを与えようとしたとき、

「大丈夫です」

「いりません」

「自分でできます」

と断ることが、いつも相手のためになるわけではない。

誰かが差し出してくれた優しさを、

「ありがとう」と受け取る。

それは、

相手が差し出したものを、ちゃんと受け取ること。

そして、受け取ったものを自分の中で大切にする。

それが、また次の誰かへの優しさとして循環していく。

土が受け取ったものを育てていくように、

人から受け取った愛も、

自分の中で育てることができる。

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受け取ったものを「自分のもの」にする

ここが、「脾」と人生のつながりで大切なところ。

ただ受け取ればいいわけではない。

受け取ったものを、

自分の中で消化する。

誰かに言われた言葉も、

誰かから教えてもらった知識も、

誰かからもらった愛も、

そのまま外側に置いておくのではなく、

「私はどう感じる?」

「私にとって、これは何だろう?」

と自分の中に取り込んでいく。

そして、

自分に必要なものを残し、

自分の人生に生かしていく。

食べたものが身体をつくるように、

受け取ったものが、

自分の考え方や生き方をつくっていく。

だからこそ、

何を受け取るかも大切だけれど、

受け取ったものをどう自分の中で育てるかも大切。

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「足りない」から「もう受け取っている」へ

現実を変えようとするとき、

私たちはつい、

「何をすればいい?」と考える。

もっと行動しなければ。

もっと勉強しなければ。

もっと頑張らなければ。

でも、五行の「土」から見てみると、

その前に、

「今、何を受け取っている?」

と気づくことができる。

今日、誰かがしてくれたこと。

今日、食べたもの。

今日、感じた喜び。

今日、誰かからもらった言葉。

今日、与えられた時間。

今日、目の前にあるもの。

それらを、

「当たり前」

にせず、

ひとつひとつ受け取ってみる。

すると、

「私は何も持っていない」という感覚が、

「私は、すでにたくさんのものを受け取っている」

へ変わっていく。

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受け取れる人は、人生を味わえる

人生を自分の力だけで動かそうとすると、

いつも何かを追いかけることになる。

もっと。

もっと。

まだ足りない。

まだ足りない。

でも、

「受け取る」

という感覚を取り戻すと、

今ここにあるものが見えてくる。

ご飯を食べることも、

誰かと話すことも、

愛されることも、

助けてもらうことも、

お金をいただくことも、

仕事を任されることも、

すべてが、

「魂から自分に届いたもの」

として感じられるようになる。

すると人生は、

自分が必死になって何かを獲得するものではなく、

やってきたものを受け取り、

味わい、

自分の中で育てていくもの

へと変わっていく。

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「受け取る」は、自分を大切にすること

自分を大切にするというと、

自分のために何かをしてあげることを思い浮かべるかもしれない。

でも、

「受け取ることを自分に許す」ことも、

自分を大切にすることだと思う。

疲れたら、休むことを受け入れる。

助けてもらう。

嬉しいときは、嬉しさを受け取る。

愛されたら、愛されていることを受け取る。

自分の才能を認めてもらったら、

「そんなことない」と否定せず、

「ありがとう」と受け取る。

自分の人生にやってきたものを、

「私にはふさわしくない」と跳ね返さない。

それは、「私は受け取っていい人間だ」

と、自分自身に許可を出すことでもある。

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今日、自分に問いかけてみる

今日一日、

「何を手に入れよう?」ではなく、

「今日は、何を受け取っているだろう?」

と問いかけてみる。

誰かの優しさ。

誰かの言葉。

食べるもの。

報酬(お金)。

仕事。

時間。

愛。

助けてもらえること。

そして、

自分自身からの優しさも。

「今日はよく頑張ったね」

「疲れていたんだね」

「これが食べたかったんだね」

そんなふうに、

自分の声も受け取ってあげる。

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人生は、私たちが思っている以上に与えてくれている

私たちは、

「何をすれば人生が変わるのか」

を考え続けてきた。

もっと動かなければ。

もっと頑張らなければ。

もっと結果を出さなければ。

でも、

人生を動かすために、

いつも何かをする必要があるわけではない。

ときには、

もう届いているものに気づくこと。

それだけでいい。

自分で全部やろうとする手を少しゆるめる。

誰かの手を借りる。

優しさを受け取る。

愛を受け取る。

お金を受け取る。

喜びを受け取る。

そして、「ありがとう」と言う。

土が、受け取ったものを育てていくように。

私たちも、

魂から受け取ったものを、

次の人生の力へと変えていく。

だから、

「もっと頑張って手に入れなければ」

ではなく、

「私は、もう受け取っていい」

から始めてみる。

人生は、何かを取りに行く場所ではない。

すでに差し出されているものに気づき、

それを受け取り、

味わい、

自分の中で育てていく場所でもある。

そして、

受け取ったものが自分の中で力になったとき、

それはまた、

誰かへ渡せるものになっていく。

受け取ることは、

与えることの反対ではない。

受け取るからこそ、

また、与えることができる。

土が、

受け取ったものを育て、

新しいものを生み出していくように。

私たちの人生も、

受け取ったものから、

また新しい人生を創っていく。

「手に入れなければ」から、

「受け取っていい」へ。

人生は、

頑張ってつかむものだけではなく、

すでに差し出されているものを、

ちゃんと受け取ることからも動き始める。