光と闇は一対であり一体となる

光だと思っていたものが闇で、闇だと思っていたものが光だった

私たちは、いつの間にか

自分の中に「正しさ」という物差しを持つようになります。

こんな人でありたい。

こんな考え方が正しい。

こんな振る舞いをするべきだ。

その物差しに合うものを光と呼び、

合わないものを闇と呼ぶ。

そして、自分の光を頼りに、

目の前の世界を見つめるようになります。

けれども、本当に光だと思っていたものは、

光だったのでしょうか。

そして、闇だと思っていたものは、

本当に闇だったのでしょうか。

光を掲げて、誰かを裁いていた私たち

人の言動を見て、

心の中で批判してしまうことはありませんか。

「どうして、そんなことをするんだろう」

「もっとこうすればいいのに」

「そんな考え方は間違っている」

自分の中には、自分なりの正しさがあります。

それは、これまでの経験から学んできたことかもしれません。

誰かを傷つけないための教えだったり、

社会の中でうまく生きていくために

身につけた価値観だったりするかもしれません。

その正しさを守ることは、

いつかの自分にとって大切なことだったのでしょう。

けれども、

いつしか自分の正しさが、

他人を測る物差しになっていく。

表面上は調和を大切にしながら、

物差しに合わない相手を否定し、批判し、

心の中で正そうとする。

正しいことをしているはずなのに、

なぜか人との間に距離が生まれる。

相手を理解したいと思っているのに、

相手のことが受け入れられない。

もしかしたら、そのとき掲げている光は、

誰かを照らすためのものではなく、

誰かを裁くための武器になっているのかもしれません。

光を持つことが悪いのではありません。

ただ、自分の光だけを正しいものとしたとき、

そこには光と闇を分ける境界線が生まれるのです。

自分の光を、闇の中に閉じ込めてしまった私たち

一方で、私たちは誰かから批判されたとき、

その言葉を自分の真実として受け入れてしまうことがあります。

「そんな考え方はおかしい」

「もっと周りに合わせなさい」

「そんな自分勝手なことをしてはいけない」

そう言われたとき、本当はどう感じていたでしょうか。

本当は嫌だった。

本当は違うと思っていた。

本当は自分の気持ちを表現したかった。

それでも、相手に受け入れてもらうために、

自分の感覚を疑い、自分の思いを引っ込めてしまう。

自分の純粋な気持ちを表現することよりも、

周りから否定されないことを選んでしまう。

そうして、自分の中にある大切なものを、

少しずつ心の奥に閉じ込めていくのです。

自分らしく振る舞うことが怖くなる。

自分の感覚を信じられなくなる。

本当は何が好きで、

何を望んでいるのかさえ、わからなくなっていく。

けれども、周りに合わせることで自分の光を閉じ込めても、

私たちの中からその光がなくなるわけではありません。

ただ、表に出られなくなってしまうだけなのです。

そして、自分を抑えることによって生まれた苦しさを、

今度は外側への批判によって解消しようとすることもあります。

周りに合わせて自分を否定する自分と、

周りを否定して自分を守ろうとする自分。

一見すると正反対のようですが、

その奥には、同じ願いが隠れているのかもしれません。

それは、自分を守りたいという願い。

自分の大切なものを失いたくないという願い。

ありのままの自分で安心して生きたいという願い。

光で生きても、闇で生きても、苦しかった理由

自分の正しさを掲げて、周りを否定する。

周りの正しさを受け入れて、自分を否定する。

この二つの生き方は、正反対に見えます。

けれども、どちらにも共通していることがあります。

それは、自分の一部を否定しているということです。

周りを批判しているときは、

自分とは違うものを受け入れられない。

自分を批判しているときは、

自分の中にある周りとは違うものを受け入れられない。

どちらも、光と闇を分け、

片方を認めるために、もう片方を否定しているのです。

だから、どちらを選んでも、心の中には争いが残ります。

自分の正しさを守り続けても、

周りとわかり合えない苦しさがある。

周りの正しさに従い続けても、

自分を生きられない苦しさがある。

では、どうしたら、

その争いを終わらせることができるのでしょうか。

そこに必要なのは、

もっと強い光を手に入れることでも、

闇を完全になくすことでもないのかもしれません。

光と闇を分けていた、

その物差しを少し緩めてみることなのです。

自分の物差しを緩めると、世界の見え方が変わる

目の前の人が、自分とは違う考え方をしている。

そんなとき、

すぐに正しいか間違っているかを決めるのではなく、

少しだけ立ち止まってみる。

「私とは違うけれど、そういう考え方もあるんだな」

そう思ってみる。

相手の言動に賛成する必要はありません。

相手のすべてを受け入れる必要もありません。

ただ、自分とは違うという理由だけで、

相手を否定しなくてもいいのです。

自分の物差しを緩めることは、

自分の価値観を捨てることではありません。

自分の正しさだけが、

世界のすべてではないと知ることです。

相手を裁こうとする手を緩めたとき、

今まで見えなかった相手の背景や思いに

気づくことがあるかもしれません。

そして、同じことを自分自身にもしてみるのです。

自分の闇だと思っていた場所に、光を当てる

あなたの中には、

どんな自分が隠れているでしょうか。

素直になれない自分。

弱いと思い込んだ自分。

寂しさを隠している自分。

人に知られたくない自分。

認めたくない自分。

こんな自分ではいけないと思っている自分。

嫉妬する自分。

怒りを感じる自分。

人に頼りたい自分。

何もしたくない自分。

愛されたいと願う自分。

あるいは、周りと違う感覚を持ち、

自分だけの考えや表現を大切にしたい自分。

私たちは、自分の中にあるものを、

良いものと悪いものに分けてしまいがちです。

けれども、その感情や思いが存在すること自体が、

あなたの価値を決めるわけではありません。

大切なのは、

その気持ちを否定して閉じ込めることでも、

衝動のままに行動することでもなく、

まずは自分の中にあるものとして認めてあげることです。

「私は、こんなふうに感じていたんだね」

そうやって、自分の心に目を向けてみる。

怒りの奥には、守りたかったものがあるかもしれません。

嫉妬の奥には、

自分も大切にされたいという願いがあるかもしれません。

人に頼れない自分の奥には、

弱さを見せることへの怖さがあるかもしれません。

周りと違う自分を隠してきたのなら、

その奥には、ずっと表現したかった

純粋な思いや感覚が眠っているかもしれません。

もちろん、すべての感情に特別な意味があるとは限りません。

ただ、これまで否定してきた自分の中に、

まだ知らない自分がいる可能性はあります。

闇だと思っていたものに光を当てる。

それは、自分の中にあるものを、

良い悪いと判断する前に、

見つめてあげることなのです。

闇の中に隠れていた、本当の自分と出会う

自分の気持ちを否定せずに見つめていると、

今までとは違うことが起こるかもしれません。

ずっと悪いものだと思っていた感情が、

少しずつその姿を変えていく。

怒りの奥にあった悲しみに気づく。

嫉妬の奥にあった愛されたいという願いに気づく。

反発の奥にあった、自分らしく生きたいという思いに気づく。

すると、これまで闇だと思っていたものの中に、

自分の純粋な気持ちが隠れていたことに気づくのです。

それは、闇が消えて、

別の何かに変わったということではないのかもしれません。

自分が否定することによって見えなくなっていた、

本来の思いに気づいたということ。

自分の中にあるものを否定せず、

光を当てて見つめることで、

その奥にあったものが見えてくるのです。

そして、ここで初めて、

自分を守るために周りを批判していた自分のことも、

違う目で見られるようになるかもしれません。

あのときの自分も、苦しかったのだ。

あのときの自分も、自分を守ろうとしていたのだ。

周りを否定していた自分も、

周りに合わせて自分を閉じ込めていた自分も、

どちらも自分の一部だった。

どちらか一方を悪者にしなくてもいい。

そう思えたとき、

自分の内側にあった争いが、

少しずつほどけていくのではないでしょうか。

光と闇をひとつとして見る

光と闇を統合するというのは、

光をなくすことでも、

闇をなくすことでもありません。

正しさを捨てることでも、

自分の大切な価値観を手放すことでもありません。

自分の光も、闇だと思っていた自分も、

どちらも自分の一部として受け入れていくことです。

人を批判してしまう自分がいてもいい。

周りの目を気にしてしまう自分がいてもいい。

自分の正しさを譲れないときがあってもいい。

本当の気持ちをうまく表現できないときがあってもいい。

そうした自分を見つけるたびに、

また自分を裁くのではなく、

気づいた自分を優しく迎え入れる。

その繰り返しの中で、

少しずつ、

自分の中にあるものを敵にしなくてよくなっていきます。

自分の中で争わなくなれば、

目の前の世界に対しても、

すべてを正そうとする必要がなくなっていきます。

自分とは違う考え方に出会っても、すぐに否定しなくていい。

誰かに理解されなかったとしても、

自分の純粋な思いまで否定しなくていい。

エゴを受け入れるまで、

目の前の出来事に心が揺れることは、

これからもあるでしょう。

けれども、心が揺れたとき、

自分の内側に戻り、

自分の気持ちを見つめることができる。

そうして、

自分の中の光と闇を分けずに受け入れていくほど、

外側の出来事に

自分の価値を委ねずにいられるようになるのかもしれません。

真実の自分を生きるということ

私たちは、光になろうとして、

自分の闇を否定してきたのかもしれません。

そして、闇だと決めつけられた自分を隠すことで、

光の中に居場所をつくろうとしてきたのかもしれません。

けれども、本当の自分に出会うために、

何かをなくす必要はなかったのです。

必要だったのは、

これまで見ないようにしてきた自分にも、

目を向けてあげること。

否定してきた自分にも、

理解しようとしてこなかった自分にも、

愛を向けること。

光だと思っていた自分も、

闇だと思っていた自分も、

どちらも抱きしめること。

そうして自分の中の分離がほどけていくとき、

私たちは、

誰かを否定することによって

自分の正しさを証明しなくてもよくなります。

自分を否定することによって、

誰かに受け入れてもらおうとしなくてもよくなります。

自分の光を武器にしなくてもいい。

自分の光を隠さなくてもいい。

ただ、自分の中にある純粋な思いを大切にしながら、

生きていけばいいのです。

光と闇は、どちらか一方だけが真実なのではありません。

その両方を見つめ、受け入れた先に、

今まで見えていなかった自分の姿が現れてくる。

闇の中に隠れていた光。

それは、誰かに認めてもらうための光ではなく、

自分自身が自分を受け入れたときに出会う、

純粋な自分の光なのです。

あなたの中にも、

まだ光を当てていない場所があるでしょうか。

もしあるのなら、無理に変えようとしなくても大丈夫。

まずは、そこにどんな自分がいるのか、

そっと見つめてみてください。

あなたが闇だと思っていたその場所にも、

あなた自身と出会うための、

大切な何かが隠れているかもしれません。