エゴの奴隷にならない

そると/心とエネルギーのお話/ビューティフルライフカウンセラーそると/心とエネルギーのお話/ビューティフルライフカウンセラー

エゴを手なずける

「もっと欲しい」

「もっと認められたい」

「失いたくない」

「嫌われたくない」

「私のほうが正しい」

「こんなはずじゃない」

私たちの中には、

いつも何かを求め、何かを恐れ、

自分を守ろうとする声があります。

それが、エゴです。

エゴは、悪いものではありません。

傷つかないように守ってくれたり、

危険を避けたり、

「こうしたほうがいい」と教えてくれたり。

人間として生きるために、

エゴは必要な機能でもあります。

だから、エゴをなくそうとしなくていい。

大切なのは、

エゴに人生のハンドルを渡さないこと。

そして、

エゴを手なずけること。

「ない」を埋めるために生きる

エゴは、

「ない」を見つけるのが得意です。

お金がない。

愛されていない。

才能がない。

時間がない。

自信がない。

足りない。

だから、

「手に入れなければ」

「認められなければ」

「もっと頑張らなければ」

と、私たちを動かします。

そして、何かを手に入れても、

また次の「ない」を探します。

もっと。

もっと。

もっと。

どれだけ手に入れても、

終わりがありません。

なぜなら、

エゴが見ている世界の前提が、

「私は足りない」だからです。

でも、本当は「ある」

私たちは、

空気がなくなったらどうしようと、

毎日心配して生きているわけではありません。

必要なときに呼吸をして、

必要なだけ空気を受け取っています。

それなのに、お金や愛や才能になると、

「足りない」

「なくなる」

「稼がなければ」

「誰かから貰わなくては」

と思ってしまう。

でも、

すでにあるものは、

あまりにも当たり前すぎて、

見えなくなっているだけなのかもしれません。

愛も。

才能も。

豊かさも。

生命力も。

「ない」のではなく、

今ここにあるものが、

自分の中を流れている

そう感じ始めると、

生き方が変わっていきます。

エゴが暴れても、すぐには動かない

エゴは、とても素早い。

何かが起こると、

「危ない!」

「嫌だ!」

「こうしなきゃ!」

と、すぐに反応します。

そしてエゴが暴れ始めると、

怒ったり、

逃げたり、

相手を責めたり、

自分を責めたり。

そのままエゴに引っ張られて、

動いてしまうことがあります。

でも、

エゴが暴れたからといって、

すぐに動く必要はありません。

「ああ、今、エゴが暴れているな」

と気づく。

そして、少し離れて見守る。

まるで、

小さな子どもが泣き叫んでいるときに、

「泣いちゃダメ!」

と止めるのではなく、

「怖かったんだね」

「嫌だったんだね」

「大丈夫だよ」

と、そばにいてあげるように。

エゴも同じです。

暴れているからといって、

叱らなくていい。

押さえつけなくていい。

言うことを聞かせなくてもいい。

ただ、優しく寄り添ってあげる。

「大丈夫。一緒にいるよ」と。

そうすると、

少しずつエゴは安心していきます。

そして、エゴが落ち着いてきたところで、

「じゃあ、本当はどうしたい?」

と、自分に戻ってくる。

大切なのは、

エゴを暴れさせないことではなく、

エゴが暴れているときに、

自分まで一緒になって暴れないこと。

エゴが反応しても、すぐには動かない。

エゴが暴れても、すぐには決めない。

エゴの声を聞きながら、

優しく寄り添う。

エゴの声と、私の望みを分ける

エゴは、

「嫌われないようにしなきゃ」と言う。

でも、私は本当に

「嫌われないこと」を望んでいるのだろうか。

エゴは、

「もっと持っていないとダメ」と言う。

でも、私は本当に

もっと必要なのだろうか。

エゴは、

「私のほうが正しい」と言う。

でも、私は本当に

正しさを証明したいのだろうか。

こうやって、

「エゴが言っていること」と

「私が本当に望んでいること」

を分けていく。

すると、今まで

「私の気持ち」

だと思っていたものの中に、

エゴの声が混ざっていたことに気づきます。

エゴは「私」ではない

「私は不安だ」

ではなく、

「私の中に、不安を感じている部分がある」

と見てみる。

「私は足りない」

ではなく、

「今、足りないと感じている自分がいる」

と見てみる。

すると、ほんの少し距離が生まれます。

その距離が、「選択する力」を取り戻してくれます。

エゴは、

「こうしなきゃ」

「こうでなきゃ」

「これがないとダメ」

と言います。

でも、その声に従うかどうかは、

私が決める。

エゴを叱らない

ここで、

「またエゴが出た!」

「こんなことを考える私はダメだ!」

と、自分を責めてしまうと、

また別のエゴが動き始めます。

だから、エゴを敵にしない。

「怖かったんだね」

「失いたくなかったんだね」

「守りたかったんだね」

「認めてもらいたかったんだね」

と、エゴの気持ちを受け止める。

まるで、

怖がっている小さな子どもを

抱きしめるように。

エゴの気持ちは否定しない。

でも、エゴに決定権は渡さない

これが、エゴを手なずけるということです。

「ない」と叫ぶエゴに、「ある」を教える

エゴは、

「ない」を見つけるのが得意です。

だからこそ、

意識的に「ある」を教えてあげる。

呼吸をする空気がある。

今日食べるものがある。

感じる力がある。

考える力がある。

愛する力がある。

誰かとつながることができる。

そして、今ここに命がある。

「ない」ばかりを探しているエゴに、

「大丈夫。見てごらん。こんなにあるよ」

と教えてあげる。

「ある」を感じる時間が増えるほど、

エゴは少しずつ安心していきます。

エゴを手なずけるとは、自分を自由にすること

エゴを抑え込むことではありません。

エゴを消すことでもありません。

エゴが何を言っているのかを聞きながら、

「じゃあ、私はどうしたい?」

と、自分に戻ってくること。

エゴに反応させられるのではなく、

自分で選ぶ。

エゴに人生を決めてもらうのではなく、

自分が人生を選んでいく。

怒りが出てもいい。

嫉妬してもいい。

不安になってもいい。

欲しくなってもいい。

怖くなってもいい。

そんな自分を排除しなくていい。

ただ、

「そう感じているんだね。でも、どうするかは私が決めるよ」

と言ってあげる。

エゴの奴隷から、人生の創造者へ

「ない」から動くのか。

「ある」から動くのか。

この違いは、

人生を大きく変えていきます。

ないから、奪おうとする。

あるから、分かち合える。

ないから、自分を証明しようとする。

あるから、自分を表現できる。

ないから、相手をコントロールする。

あるから、相手の自由も尊重できる。

エゴに支配されているとき、

私たちは「反応」しています。

でも、自分の内側にあるものを感じられるようになると、

「私はどうしたい?」

と、自分に問い直せるようになる。

それは、

エゴをなくすことではありません。

エゴを抱えたまま、自分の人生を自分で選ぶこと。

それが、

エゴの奴隷にならない

ということなのだと思います。

エゴと一緒に生きていく

エゴは、

私の敵ではなかった。

ずっと私を守ろうとしてくれていた。

ただ、

「ない」

と思い込んでいたから、

必死になっていた。

だから、

エゴを倒すのではなく、

エゴに安心を教えていく。

「大丈夫」

「もうそんなに頑張らなくていい」

「必要なものは、ちゃんとあるよ」

そうやって、

少しずつエゴとの関係を変えていく。

エゴが反応したら、一呼吸。

エゴが暴れたら、そばにいる。

エゴが「ない」と叫んだら、

「ある」を思い出させてあげる。

でも、その声に人生を明け渡さない。

エゴを抱えたまま、私が私の人生を生きる。

それが、エゴの奴隷にならない

ということなのだと思います。

エゴを消す必要はない。

エゴを敵にする必要もない。

ただ、手なずけていく。

「大丈夫だよ」と教えていく。

そしていつか、

エゴが隣にいても、

心は静かでいられる。

エゴが何かを叫んでいても、

自分の道を選ぶことができる。

そのとき、

エゴに動かされる人ではなく、

エゴとともに生きる主人になっている。

今日も、もし心の中に

「もっと」

「足りない」

「怖い」

「こうしなければ」

という声が聞こえたら、

少しだけ立ち止まってみてください。

そして、自分に聞いてみる。

「今、エゴが暴れている?」

「何を怖がっているの?」

「本当の私は、どうしたい?」

その違いがわかるようになったとき、

あなたは少しずつ、

エゴに動かされる人生から、

自分の内側から人生を創造する生き方へ

戻っていくのだと思います。

エゴの奴隷にならない。

エゴをなくさない。

エゴを手なずける。

そして、

私が私の人生の主人でいる。